宗教法人法の解散命令

国会審議で要件について総理の答弁が二転三転した宗教法人法の解散権について、規定を見ておこうと思います。

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宗教法人法の解散命令

 宗教法人法のいう宗教団体の定義や質問権については、宗教法人法の質問権でまとめました。今回は、解散命令の規定を見ていきます。解散命令は、宗教法人法81条に規定されています。

(解散命令)

第八十一条 裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。

 第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。

 当該宗教法人が第二条第一号に掲げる宗教団体である場合には、礼拝の施設が滅失し、やむを得ない事由がないのにその滅失後二年以上にわたつてその施設を備えないこと。

 一年以上にわたつて代表役員及びその代務者を欠いていること。

 第十四条第一項又は第三十九条第一項の規定による認証に関する認証書を交付した日から一年を経過している場合において、当該宗教法人について第十四条第一項第一号又は第三十九条第一項第三号に掲げる要件を欠いていることが判明したこと。

命令するのは裁判所

 宗教法人に対して解散命令を行うのは、裁判所です。裁判所は、所管庁・利害関係人・検察官から請求があった場合か、職権で解散命令を行うことができます。

 面白いのは、裁判所が職権で解散命令を行うことができると規定されていることです。民事裁判は原告が訴訟提起することで始まります。刑事裁判は検察官が起訴状を提出することで始まります。つまり、たとえ、裁判所内で犯罪行為が行われいても裁判所がいきなり刑事裁判を開始することはできません。が、宗教法人法は、裁判所が自ら宗教法人に対して解散命令を行うことを認めているのです。もっとも、裁判所は宗教法人に何ら関心を持ってないでしょうから、職権で解散命令を行うことはまずないでしょう。

解散命令の要件

 解散命令の要件は、5つ規定されています。その要件は、①宗教法人の実体を欠いているといういわば形式的な要件と②宗教法人として存続するのが相応しくないといういわば実体的な要件の2つに分けられます。

 ①の要件は、2号後段、3号~5号に規定されています。これは、あまり問題になることはないのでしょう。問題になるのは、②の要件で、1号と2号前段に規定されています。ということで、以下、②の要件に絞って見てみましょう。

法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした

 1号は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」ことです。単に法令に違反するだけでは要件を満たしません。

 1号の法令に民法の不法行為(709条以下)が含まれるか?が国会で問題になりました。ご承知のとおり、総理は、最終的に、民法の不法行為も含まれると答弁したわけです。

 たとえば、AさんがBさんを殴ってケガをさせたとします。この場合、Aさんには刑法204条の傷害罪が成立します。また、Aさんは、民法709条に基づきBさんの損害を賠償する必要があります。が、AさんがBさんに損害賠償義務を負うのは、民法709条の要件を満たしたからであって、民法709条に違反したからではないんです。詳しくは、民法の不法行為の基本書を読んでいただくとして、民法709条に基づいて賠償責任を負うのは、何らかの注意義務に違反したからなのです。その注意義務の内容こそが重要です。なので、1号の法令に不法行為が含まれるというのは、ちょっと違和感があります。

第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をした

 2号前段は、「第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をした」ことです。2条は、宗教法人団体の定義規定です(宗教法人法の質問権参照)。

最高裁はどう言っている?

 宗教法人法の解散命令について、最高裁平成8年1月30日決定があります。これは、オウム真理教に対して解散命令を行った事件です。最高裁は、以下のように、判示しています。

 宗教法人法は、宗教団体が礼拝の施設その他の財産を所有してこれを維持運用するなどのために、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とし(1条1項)、宗教団体に法人格を付与し得ることとしている(法4条)。すなわち、法による宗教団体の規制は、専ら宗教団体の世俗的側面だけを対象とし、その精神的・宗教的側面を対象外としているのであって、信者が宗教上の行為を行うことなどの信教の自由に介入しようとするものではない(1条2項参照)。法81条に規定する宗教法人の解散命令の制度も、法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為(同条1項1号)や宗教団体の目的を著しく逸脱した行為(同項2号前段)があった場合、あるいは、宗教法人ないし宗教団体としての実体を欠くに至ったような場合(同項2号後段、3号から5号まで)には、宗教団体に法律上の能力を与えたままにしておくことが不適切あるいは不必要となるところから、司法手続によって宗教法人を強制的に解散し、その法人格を失わしめることが可能となるようにしたものであり、会社の解散命令と同趣旨のものであると解される。

 したがって、解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、これを新たに結成することが妨げられるわけではなく、また、宗教上の行為を行い、その用に供する施設や物品を新たに調えることが妨げられるわけでもない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。もっとも、宗教法人の解散命令が確定したときはその清算手続が行われ(法49条2項、51条)、その結果、宗教法人に帰属する財産で礼拝施設その他の宗教上の行為の用に供していたものも処分されることになるから(法50条参照)、これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。このように、宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。

 このような観点から本件解散命令について見ると、法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、その制度の目的も合理的であるということができる。そして、原審が確定したところによれば、抗告人の代表役員であったA及びその指示を受けた抗告人の多数の幹部は、大量殺人を目的として毒ガスであるサリンを大量に生成することを計画した上、多数の信者を動員し、抗告人の物的施設を利用し、抗告人の資金を投入して、計画的、組織的にサリンを生成したというのであるから、抗告人が、法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められ、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたことが明らかである。抗告人の右のような行為に対処するには、抗告人を解散し、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体であるオウム真理教やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。したがって、本件解散命令は、宗教団体であるオウム真理教やその信者らの精神的・宗教的側面に及ぼす影響を考慮しても、抗告人の行為に対処するのに必要でやむを得ない法的規制であるということができる。また、本件解散命令は、法81条の規定に基づき、裁判所の司法審査によって発せられたものであるから、その手続の適正も担保されている。

 宗教上の行為の自由は、もとより最大限に尊重すべきものであるが、絶対無制限のものではなく、以上の諸点にかんがみれば、本件解散命令及びこれに対する即時抗告を棄却した原決定は、憲法20条1項に違背するものではない。

解散命令の要件については判断していない

 最高裁は、解散命令が憲法20条1項の信教の自由に違反するかどうか?について判断していて、解散命令の要件については判断していません。というか、ご承知のとおり、オウム真理教は、地下鉄サリン事件等を引き起こしたので、明らかに解散命令の要件を充足するからです。

原審が言及している

 最高裁は解散命令の要件について言及してませんが、原審である東京高裁平成7年12月19日決定は、以下のように、ちゃんと解散命令の要件について言及しています。

「宗教法人について」の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」(1号)、「二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」(2号前段)とは、宗教法人の代表役員等が法人の名の下において取得・集積した財産及びこれを基礎に築いた人的・物的組織等を利用してした行為であって、社会通念に照らして、当該宗教法人の行為であるといえるうえ、刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって、しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為、又は宗教法人法2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められる行為をいうものと解するのが相当である。

法令に民法709条が含まれるかどうかに意味はないのでは?

 問題になっている1号の法令については、「刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範」と述べています。民法709条が実定法であるのは、間違いなくて、問題は、禁止・命令規範なのか?ということですが、その議論に何か意味があるかは疑問です。

 というのも、前述のとおり、民法709条に基づいて損賠賠償責任を負うのは、民法709条に違反したからではないのです。宗教法人が民法709条に基づき損賠賠償責任を負ったのだとしたら、何かしらの権利侵害があり、何かしらの故意・過失、つまり、注意義務違反があったのです。問題は、その中身なはずです。つまり、何をして(あるいはしなくて)賠償責任を負うことになったのか?が重要なんじゃないのかと思っています。

♪Mr.Children「終末のコンフィデンスソング」(アルバム:SUPERMARKET FANTASY収録)

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