ふと思い立って,穂積陳重著「法窓夜話」をざっくりと,まとめておこうと思います。
法窓夜話
法窓夜話は,明治時代の法学者である穂積陳重が,古今東西の法律の小話を100篇まとめたものです。親が子どもに昔話を読み聞かせるように,穂積陳重の父親が穂積陳重に夜10時に聞かせた話しという体を取っています。法窓夜話と続編の続・法窓夜話にそれぞれ各100篇,合計200編の法律にまつわる小話がまとめられています。
著者の穂積陳重は,すでに書いたように明治時代の法学者です。梅謙次郎,富井政章とともに明治民法を起草したことで有名です。
思うところあって,そんな法窓夜話の内容をまとめておこうと思い立ちました。
ちなにみ,著作権が切れてるので,法窓夜話は,青空文庫で読むことができます。岩波文庫からも刊行されていて,岩波文庫は,注釈と解説が付いています。
1 パピニアーヌス、罪案を草せず
ローマ帝国皇帝で暴君として有名なカラカラ帝は,弟のゲタを殺害する。カラカラは,法律家のパーピニアーヌスに,ゲタの殺害を正当化するように命じる。
現在,法律は,立法府である議会で作られますが,古代ローマでは,権威のある法律学者の学説は法律として通用したらしいです。パーピニアーヌスは,ウルピアーヌスら5人の特別な権威の法学者に並ぶ一人とされています。
そのパーピニアーヌスは,上記のカラカラ帝の命令に対し,ふざけんな!とカラカラ帝の命令に背き,死刑されてしまう。
2 ハネフィヤ、職に就かず
イスラム教の法律家に,ハネフィヤ派,マリク派,シャフェイ派,ハンバル派の4派があるらしい。その中でもハネフィヤは「神授の才」と人々から言われるほどだった。マリクが言うには,ハネフィヤが木の柱を金の柱だといえば,それを簡単に論証できるほどの才能の持ち主だった。そんなハネフィヤは,自分の能力を法学研究に捧げ,決して,富や名声のために使わなかった。
ある日,太守フーベーラがハネフィヤの評判を聞き,裁判官に任命しようとするも,ハネフィヤに拒否される。そこで,ハネフィヤを捕らえ,10日間,むち打ちの刑を行うが,結局,ハネフィヤを釈放する。数年後,マースールのカリフがハネフィヤを判官の栄職を与えようとしたが,ハネフィヤはこれも拒否する。ハネフィヤは投獄され,命を落とす。
3 神聖なる王璽
法律が正式に成立したことの証として,国璽・御璽が押されることがあります。日本でも大日本帝国憲法下では,国璽・御璽を押す場合が明文化されていました。現在は,明文規定はありませんが,慣習として,法律等には,国璽・御璽が押されています。
そんな国璽・御璽を管理する官職は各国で重要な役職とされていました。たとえば,イギリスでは,国王の良心の守護者と言われる掌璽大臣がその役職に当たります。掌璽大臣は,君主が違法な詔書,勅書など発しようとしている場合は,これを諌める役目があるとされています。
フランスのシャール7世は,殺人を犯した寵臣を恩赦するため,掌璽大臣モールヴィーエーに勅赦状に王璽を押させようとする。モールヴィーエーは赦免が不法だとして,応じなかった。シャール7世はぶち切れ,王璽は俺のもんじゃ!と言って,モールヴィーエーから王璽を奪い,勅赦状に押して,モールヴィーエーに王璽を返そうとした。すると,モールヴィーエーは,「王璽は私に二度,栄光を与えた,1回目は,かつて,私が王璽を陛下から授かった時,2回目は,私が今,陛下から王璽を受け取らない時」と言って,職を辞した。
ルイ14世が寵臣の重罪を特赦しようとしたが,掌璽大臣ヴォアザンがルイ14世を諌めようとした。ルイ14世は聞く耳もたず,大璽を持ちだしてきて,赦書に押してからヴォアザンに返した。ヴォアザンは,「陛下,この大璽は既に汚れております。臣は汚れたる大璽の寄託を受けることは出来ません」と言って,大璽をつき戻し,辞職の決意を表明した。ルイ14世は,仕方なく,赦免の勅書を火中に投げ入れた。それを見たヴォアザンは,「火が穢れを払うもの,大璽も再び清潔になった」と言い,大璽を受け取った。
4 この父にしてこの子あり
和気清麻呂の子どもの和気真綱の話し。和気清麻呂は,あの宇佐八幡神託事件で道教のたくらみを阻止した人ですが,この話しには関係しません。
法隆寺の禅僧善愷が,少納言登美直名の罪を訴える(善愷訴訟事件)。審判が開かれることになったが,登美直名に肩入れする人がいて,闘訟律(唐では官吏が天子に直接訴えることは禁止されていた)により,訴えが違法だと主張がでてきた。そこで,明法博士に訴えが違法かどうかを判断させたが,博士は,登美直名の権威にビビッて,ちゃんとした回答ができなかった。真綱はそのことに憤慨し,「塵の立つ道は人の目を遮ってしまう。不正な裁判の場で,一人で直言しても何の益があるだろうか。官職を辞めるべきだ。早く冥土に向かおう。」と官職を追われ,自宅の門を閉じ,この世を去った。
5 ディオクレス、自己の法に死す
ディオクレスはシラキュースの立法者。当時,民会ではしばしば闘争殺傷など事件が起きたので,ディオクレスは,兵器を携えて民会に臨むことを厳禁し,違反者は死刑とするという法を作った。ディオクレスは,敵軍が国境に押寄せて来たという知らせを聞き,武装し防衛軍を指揮するため戦場に赴いた。その途中,民会で内乱が起きていると聞き,武装したまま民会に来た。ディオクレスが民会で発言しようとしたところ,謀叛人の一人が立ち上がり,「ディオクレスが武器持って民会に来た,ディオクレスは自分の作った法を破った。」と叫んだ。ディオクレスは自分が法を破ったことに気づき,「ディオクレスは自ら作った法を行うに躊躇する者に非ず」と言って,剣で胸を刺し,その場に倒れた。
法窓夜話の1~5を見てきました。時代や国は異なりますが,似たような話しが集められてるんだなという感じです。それは,1のパーピニアウスの話しの冒頭で「士の最も重んずるところは節義」だと書いてることからもわかるかと思います。
法に携わる者は,軽々しくその使命や信念を曲げてはいけないんです。政府の意向だからといって,口頭で決裁して,法律の解釈変えました,てへっとか言ってたらダメなんです。
♪Mr.Children「しるし」(アルバム:HOME収録)