穂積陳重著「法窓夜話」の続編です。今回は,71話~75話を取上げます。
法窓夜話
法窓夜話は,明治時代の法学者である穂積陳重が,古今東西の法律の小話を100篇まとめたものです。法窓夜話と続編の続・法窓夜話にそれぞれ各100篇,合計200編の法律にまつわる小話がまとめられています。
思うところあって,そんな法窓夜話の内容を個人的にまとめておこうと思い立ちました。今回は,71話~75話を取上げます。
法窓夜話1話~5話:法窓夜話1~5 法窓夜話6話~10話:法窓夜話6~10
法窓夜話11話~15話:法窓夜話11~15 法窓夜話16話~20話:法窓夜話16~20
法窓夜話21話~25話:法窓夜話21~25 法窓夜話26話~30話:法窓夜話26~30
法窓夜話31話~35話:法窓夜話31~35 法窓夜話35話~40話:法窓夜話35~40
法窓夜話41話・42話:法窓夜話41・42 法窓夜話43話~45話:法窓夜話43-45
法窓夜話46話~50話:法窓夜話46-50 法窓夜話51話~55話:法窓夜話51-55
法窓夜話56話~60話:法窓夜話56-60 法窓夜話61話~65話:法窓夜話61-65
法窓夜話66話~70話:法窓夜話66-70
71 合意の不成立
ベンサムは,晩年は,世間との交際をやめ,クウィーン・スコワヤ・プレースの住居を隠遁舎と名付けて,研究に没頭していた。ある日,エヂウォルスがベンサムの隠遁舎を訪ねて,面会を求めた。取次の者が,エヂウォルスにベンサムの返事が書かれた紙を渡した。その紙には,「ベンサムはエヂウォルスとの面会を希望しない」と書かれていた。
72 ベンサムの法典編纂提議
ジェレミー・ベンサムは,近世における法典編纂論の始祖というべき人物である。ベンサムが,欧米諸国の政府や国民に書を送り,法典編纂の委嘱を希望したことは,法律史上,異彩を放つ事実の一つと言わざるを得ない。
1814年5月,ベンサムは,ロシアで法典編纂の話しを聞きつけ,アレクサンドル1世に長文の書面を送り,自分に法典立案をさせてほしいと願い出た。翌年4月,アレクサンドル1世はオーストリアのウィーンからベンサムに書簡を送り,厚意に感謝し,「先に任命した法典編纂委員に対して,もし疑義が生じたら,ベンサムに問い合わせるよう命じた」と記した。さらに,ベンサムに高価な指輪を贈った。
すると,ベンサムは,「高価な品はいらない。委員たちは,私の意見を聞くのを快く思わないので,形式的なものになる。自分を法典編纂委員に任命してほしい。」と長文の書面を書いたが,叶わなかった。
また,ベンサムは,1811年にも,アメリカのマディソン大統領に書面を送り,合衆国法典編纂の必要を論じ,自分にやらせてほしいと願い出ていた。マディソン大統領は,5年後に「今,合衆国では法典編纂するのは,ちょっと無理かな」と書面とベンサムに送った。
1814年にも,ベンサムは,ペンシルベニア州知事に無報酬で法典編纂をやらせてほしいと願い出ているほか,アメリカの各州知事に,法典編纂をさせてほしいと願い出ている。さらに,アメリカ国民に向けて,法典編纂の必要性を説く「ジェレミー・ベンサムより合衆国人民に贈る書」と題する冊子まで発行した。しかし,ベンサムは,法典編纂をさせてもらえなかった。
1822年,75歳になったベンサムは,1国に対して法典編纂の必要性を説くのはやめ,「改進主義を抱持する総べての国民に対する法典編纂の提議」という本を書き,文面国に対して,法典編纂を勧め,かつ,外国人を法典草案の起草者とするのがいいと説いた。
しかし,ベンサムは,法典編纂に着手することなく,その生涯を終えた。ベンサムの著書は各国で翻訳され,その学説は,一世を風靡し,誰もがその名を知っているような人物が,国家に必要とされなかったのだろうか?法典の編纂は,一国の立法上の大事業である。これを外国人に委託するのは,その国の法律家が大いに恥じることである。また,国民の自尊心を傷つけることにもなりかねない。明治23年の第1回帝国議会で,商法実施延期問題が貴族院の議題となった。穂積は,延期改修論を主張し,「国民行為の典範たる諸法典を外国人に作ってもらうのは国の恥である」と述べた。ベンサムは,このような国民感情を理解することができなかったのである。
ベンサムが再三,各国政府に書面を送り,法典編纂を願い出たにもかかわらず,失敗したのは,ベンサムが世界を家,人類を友と考え,国民感情を理解できなかったからである。そのため,ベンサムは,外国人に法案を立案させる方が,その国の人間が立案するよりもいいという考えをさらに進め,各国の議会は外国人を議員にした方がいいと考えた。たとえば,スペインは,イギリス,フランス,ロシア,イタリア,ポルトガルから各12人を議員に加えることが有利だと考えた。
ベンサムの眼中には,国境など存在しないのだ。
73 命賭けの発案権
ギリシャのシャロンダスがドリアン法を制定した時に発した命令は,奇抜なものだった。その内容は,「この法律の改正又は新法制定を望む者は,首に一筋の縄をかけて,議会に臨むように。もし,その議案が否決されたら,発議者は,直ちに,その縄で絞首刑に処す。」というものだった。
今の議会に,このような法律を制定するわけにはいかないが,国会議員たるものは,首に絞首刑で用いる縄をかけたくらいの気持ちで,真面目に職務にあたってほしいものである。
74 酩酊者の責任
ギリシャの七賢人の一人にピッタコスがいた。「機を知れ」という名言を言ったことで有名な人物である。暴君メランクロスの悪政から市民を救ったため,市民に推され,図らずしも,国政に身を置くことになった。その後,数々の善政を敷き,良い法律を作り,市民の信頼に応えた。
ピッタコスが作った法律の中に,「酒に酔って人を殴った者の刑は,素面の人の刑の倍にする」というのがあった。これは,おもしろい考えである。酩酊者は,そうでない人よりも国家にとって危険な人物である。飲酒自体は罪にならないが,悪い結果が生じたら,悪い結果から反致して,飲酒を原因とすることができる。また,飲酒と殴打は,行為につながりがあり,2つの罰を科すことができる。これには,予防主義から見ても,懲戒主義から見ても,鑑戒主義から見ても,理由がある。もっとも,古い自由意思論者は,反対するだろう。
75 蛙児必ずしも蛙ならず
テンタルデン卿は,理髪師の子どもだったが,法律を学びバリストル(バリスターのこと?)になり,後に高等裁判所の判事総長になり,貴族にまでなった人物である。その判決に有名なものが多いのは,イギリス法を学ぶものはよく知っている。
テンタルデン卿がバリストルの頃,ある事件について,法廷で相手の弁護士と論争した。議論が白熱したが,相手の弁護士は,ついに,テンタルデン卿への個人攻撃に出た。
「お前,偉そうに言ってるけど,床屋の息子やないか!?」
「そういうあなたは?」
「おれは,法律家の息子や。」
テンタルデン卿は,静かに笑って,「あなたは,法律家の息子だから法律家になれたのか。幸運でしたね。あなたが,私のように理髪師の息子なら,今頃,あなたは,客のあごひげに石鹸を塗ってましたね。」と言った。
♪Mr.Children「光の射す方へ」(アルバム:DISCOVERY収録)