法窓夜話86-90

穂積陳重著「法窓夜話」の続編です。今回は,86話~90話を取上げます。

法窓夜話

 法窓夜話は,明治時代の法学者である穂積陳重が,古今東西の法律の小話を100篇まとめたものです。法窓夜話と続編の続・法窓夜話にそれぞれ各100篇,合計200編の法律にまつわる小話がまとめられています。

 思うところあって,そんな法窓夜話の内容を個人的にまとめておこうと思い立ちました。今回は,86話~90話を取上げます。

 法窓夜話1話~5話:法窓夜話1~5  法窓夜話6話~10話:法窓夜話6~10

 法窓夜話11話~15話:法窓夜話11~15 法窓夜話16話~20話:法窓夜話16~20

 法窓夜話21話~25話:法窓夜話21~25 法窓夜話26話~30話:法窓夜話26~30

 法窓夜話31話~35話:法窓夜話31~35 法窓夜話35話~40話:法窓夜話35~40

 法窓夜話41話・42話:法窓夜話41・42 法窓夜話43話~45話:法窓夜話43-45

 法窓夜話46話~50話:法窓夜話46-50 法窓夜話51話~55話:法窓夜話51-55

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 法窓夜話76話~80話:法窓夜話76-80 法窓夜話81話~85話:法窓夜話81-85

86 一銭切

 戦国時代に,一銭切(いっせんぎり)という刑があった。信長記,清正記,房総志科に一銭切について記されている。この「一銭切」とは,どんな刑なのだろうか?

 伊勢貞丈は,一銭切とは一銭も残さず,没収する財産刑であろうと考えていた。一方,新井白石は,一銭でも盗む者は,死刑に処することだと考えた。

 伊勢貞丈の説は,曲解だと思われる。軍陣の刑罰に財産刑を用いるのは,ちょっと考えにくい。やはり「切」は「斬」であって,一銭のような微罪といえども,斬罪の厳刑をもって処分し,決して許さないという意向を示した威嚇的法文と考えるが相当だろう。

87 合同反抗

 合同反抗は,法の権威に対する大敵である。そのため,多くの国では,共謀,同盟,その他合同で不法行為を行おうとするときは,合同自体が独立の罪となったり,または加重の原因となっている。徳川幕府時代の徒党やイギリスのConspiracyは,その一例である。合同反抗は,最も力の強いものであるから,立法者が,合同反抗を禁止する法律を作ろうとするには,まず,その反抗を抑圧し,またはこれを罰することのできる実力と決心があるかを考えた上で,法律を作る必要がある。

 第一次世界大戦中,イギリスはその軍需品の供給を充分にするために,新たに軍器省を置き,閣員中第一の敏腕家であるロイド・ジョーヂを軍器大臣に任じた。また「軍器法」(Munitions Act)という法律を制定した。この法律の中に,軍需品製造に関係ある職工がストライキをした場合,1人1日5ポンドずつの罰金に処するという規定がある。しかし,この法律ができて,すぐに,有名な石炭産地カーディフを中心とした南ウェールズ地方の石炭坑夫約20万人の大ストライキが起った。ここで,軍器法を適用するのか?問題に直面した。戦争の急需に迫られて,厳重な法律を作ったものの,このように,多数の違犯者が同時に現れると,この法律を執行することは,とてもできない。第一,裁判所・裁判官,警察官その他の司法機関が足りない。その上,一方では戦争の範囲が広まるに従って,石炭の需要はますます急迫している。実際,政府はどうすることもできず,違犯者を罰するどころか,かえって軍器大臣ロイド・ジョーヂは,自らウェールスまで出向き,炭坑の持主と坑夫との双方を説得し,政府から補助を与え,ストライキ坑夫つまり,違法者の要求を受け入れ,ようやく復業させることができた。

 重罰をもって,ストライキを防止しようとした政策は,最初からつまづき,その法律は,出来てすぐに,死文化してしまった。このように,合同反抗を禁止する法律を作るには,法執行の充分な見込がないと,単にその法律が執行されないばかりでなく,ひいては,一般に法の威厳を損なわせるのである。

88 現行盗と非現行盗

 ローマの「十二表法」では,窃取罪を①現行盗(Furtum manifestum)と②非現行盗(Furtum nec manifestum)の2つに分けていた。

 この2つの区別について,ローマの法曹間においても,議論が分かれていた。A説は,盗取行為を行っている間に,発見,逮捕された場合が現行盗で,盗取行為終了後に発覚したものが非現行盗であるとする。B説は,犯行現場において発覚したかどうかで区別する。C説は,犯人が盗品を目的地に運搬し終るまで,発見されなかったことを非現行盗の要件とする。D説は,犯人がたまたま盗品を所持している際に,発見,逮捕された場合は,現行盗とした。ガーイウスはB説を採り,ユスティニアヌス帝はC説を採用した。要するに,窃取罪を現行犯中の発見・逮捕と現行犯後の発見・逮捕とで区別し,近世の法律のように,窃取の方法により,強盗と窃盗と区別する分類法を用いなかったのが,注目すべき点である。

 しかし,最も注目すべき点は,現行盗と非現行盗とで,刑罰の重さが非常に異なる事である。現行盗は,犯人が①自由人ならば笞刑(ちけい)に処した後ち,被害者に引渡して,その奴隷とする(いわゆる身位喪失の刑)。犯人が②奴隷ならば,まず鞭打った後,死刑に処する。一方,非現行盗は,犯人に盗品の価額の2倍の贖罪金を被害者に払わせるに過ぎない。同一の犯行にもかかわらず,単に逮捕の時期によって,刑罰にこれほどの差を設けるのは,どういう趣意なのか?近世の思想では,到底,考えられないことである。法律は,私力が公権力化することによって,発生するものであるという法律進化の理法によれば,この難問を解決できる。初期の刑法は,個人が行う復讐を国家が代って行うという観念に基づいて発生したものである。そして刑法を設ける目的が,私闘を禁じて,その団体の公権力制裁に依頼するというにあるならば,その公権力制裁の方法は,個人が自力で制裁を行いたいところを耐えて,国家の刑罰によって満足する程度のものでなければならない。どうすれば,個人は満足するのか?おそらく,自力制裁の場合と同じ方法・程度で犯人に苦痛を与えれば,被害者は満するだろう。刑法がなく,盗人を被害者の私的制裁に委ねる場合を想像しよう。被害者が,もし盗人を現場で捕え,または追いかけて,取押えたら,被害者は怒りにまかせて,盗人を乱打し,最終的に殺害するか,または奴隷として酷使するのが,原始時代にあっては普通の感情だろう。また,たとえば,盗人が,盗品の衣類を着用して通行しているのを被害者に見つかった場合,後日の発覚であっても,他の場合よりは被害者の怒りがはるかに激しいだろう。一方で,犯人が後日,逮捕された場合は,被害者の感情は,通常,だいぶ和らいでいるだろうから,叱責の上,賠償金を払わせる程度ですむかもしれない。つまり,原始的刑法の盗罪に対する公権力制裁においては,この点を斟酌して,相当の区別を設けなくては,私力的制裁の代わりにならないのである。被害者の怒りの程度を量刑の尺度とするローマ十二表法の一見奇異なる規定も,むしろ法律進化の過程における当然の現象というべきである。

89 古代の平和条約

 現代の平和条約には,両国の国境に中立地帯を設けるという条項があって,将来の衝突を防ぐ目的を持っている。古代の平和条約にも,同趣意にして形式を異にしているものが存在することが,フィリモアの著書に記されている。

 アテネ・ペルシャ間に結ばれ,デモステネスやプルタルコス(プルターク)によって「有名なる」(Famous)という形容詞を付けられた重要な平和条約において,アテネ人は、ペルシア人から,騎馬で約1日以内のギリシア沿海へ立ち入らないという保証を取り,将来の衝突を避けようとした。

90 家界と領海(ランス・ショットとカノン・ショット)

 国法の原始状態は,昨今の国際法に似ている点があるようである。その主要な類似点を挙げると,①立法者なくして慣例または約束によって,法律関係が定まること,②その法律関係は家もしくは氏族のような団体相互間の関係であること,③その団体間に争いがあるときは,自力制裁である族戦(feud)によって,これを決するか,④または他の団体などの仲裁により,その解決を試みることなどである。しかし,これらの根本論はおいといて,原始的国法に「家界」なる制度があり,それが国際法の領海制度に酷似しているのは,非常に面白い現象である。

 今日のヨーロッパ諸国の物権法において,不動産所有権の主たる目的物は土地であり,家屋はむしろ土地の構成分子と見る観念が存在する。古代では,この関係は全く反対であったようである。古代,農業がまだ発達していない時,土地の所有権は重きを置かれず,庭園などの所有地も,他人が自由に通行することができた。ただ家屋のみは不可侵で,「各人の家は彼の城なり」(Every man’s house is his castle.)という法諺(ほうげん)が存在したほどである。朝鮮では,最近まで家の所有権はあっても,土地の所有権はなかった。我国の「屋敷」という言葉も,土地を家屋の附属物とする観念に基づくものだと思われる。要するに,国法の原始状態において,国際法の領土と比較べきものは,土地ではなくして家屋であったのである。

 しかしながら,家屋の不可侵を保全するには,その周囲一帯の地域の安全が必要である。すなわち,家の周囲の土地について,家の所有者は特別の利害関係を有する。古代において,家の周囲一定の範囲をその家の「家界」(Precinct)とする習俗が存在したのはそのためである。イギリス古法のツーン,アイルランド古法(ブレホン法)のマイギン(Maighin)などが,その例である。この家界内の安全は,特別に保護されていて,たとえば,英国のエゼルレッド王の法は,国王のツーン内で人を殺す者は,50シルリングの賠償金,伯爵(アール)のツーン内で人を殺す者は,12シルリングの賠償金を支払えとする。すなわち,家界は,国際法の領海と酷似しているではないか。

 最も面白いのは,この家界の測定法,つまり,家の周囲どのくらいの距離までを家界とするかの定め方である。アイルランドのブレホンは,投槍距離(Lance-shot)をもって,家界測定の基準とした。つまり,尖頭より石突に至るまでの長さ12フィスト(当時の日本の単位12束)の槍を,の戸口より投げ,その到達点を基準として測った圏内を家界の単位とし,身分に応じて2ランス・ショット,3ランス・ショットというように,次第に距離が延び,国王の宮殿の家界は64ランス・ショットだったという。国際法の領海の測定法を弾着距離(Canon-shot)を基準としたのと,全く同じ観念であることは,説明がいらないところで,両者を対比すると,非常に興味がつきない。

♪Mr.Children「Loveはじめました」(アルバム:IT’S A WONDERFUL WORLD収録)

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