穂積陳重著「法窓夜話」の続編です。最後となる今回は,98話~100話を取上げます。
法窓夜話
法窓夜話は,明治時代の法学者である穂積陳重が,古今東西の法律の小話を100篇まとめたものです。法窓夜話と続編の続・法窓夜話にそれぞれ各100篇,合計200編の法律にまつわる小話がまとめられています。
思うところあって,そんな法窓夜話の内容を個人的にまとめておこうと思い立ちました。今回は,98話~100話を取上げます。ついに最終回です。
98 ザヴィニー、ティボーの法典争議
19世紀初め,ドイツ諸国はナポレオンに侵略され,ほとんど独立を失っていた。この当時,ドイツの学者や政治家の間には,ドイツの復興策として,民族統一(Volkseinheit)の必要性を訴える者が多かった。その主張は,次のようなものだった。ゲルマン民族は,ヨーロッパ中部に国家を建設したが,他国から侵略され,独立の基礎が揺るがされそうなのは,なぜか?それは,諸国に分かれて,民族共同の心を欠いているからではないか。将来のドイツの独立を確実にするための唯一の方策は,民族的思想を発揮して,ゲルマン民族の統一を図るほかない。
1814年,ナポレオンがライプツィヒの戦いに敗れ,フランスに敗走した時,ハイデルベルヒの大学教授であったティボー(Thibaut)は,ドイツ兵が,続々とフランスに向って進軍する様を見て,我がドイツ諸国の独立を回復すべき機運が到来したと歓喜して,ドイツ復興策を論じ,わずか2週間足らずで著作を公表した。このティボーの著書こそ,ドイツにおける普通民法の必要(Ueber die Nothwendigkeit eines allgemeinen buergerlichen Rechts fuer Deutschland.)と題する小冊子であり,これが,有名な法典争議の発端となったものである。ティボーが言うには,ゲルマン民族の一致団結を図り,国内的には国民の進歩を図り,国外的に侵略を防ごうとするには,ドイツ諸国に共通の民法法典を制定し,全民族に同じ法律を適用し,同じ権利を享有させなければならない。民族の統一は法律の統一(Rechtseinheit)によって,成し遂げられるという。このティボーの説は,当時の学者や政治家に大きな感銘を与え,一時は,法律統がドイツ復興策で最も適切だと考えられていた。
ベルリン大学の教授のザヴィニーは,これに対して「立法および法学における現時の要務」(Beruf unserer Zeit fuer Gesetzgebung und Rechtswissenschaft. 1814.)と題する書を記し,ティボーの法典編纂論に反論した。法は発達するものであって,決して作るべきものではない。一国に法律があるのは,あたかも国民に国語があるように,一国民は大字典の編纂により,その国民が通常使用する言語を作ることができないように,どんな国民でも,単に,普通法典を作成することにより,その国民の普通の権利を創造することはできない。法律は国民の精神(Volksgeist)の現われで,特に,国民の権利の確信(Rechtsueberzeugung)より生ずる。法は国民の身体であって,衣服ではない。したがって,ティボーの言うように,数年で仕立てて,着用させるわけにはいかない。民族の法律的統一をしようとするなら,まず,ゲルマン民族の権利確信を統一しなければならない。単に,普通法典の編纂により,その目的を達しようとするのは,木に縁りて魚を求めるようなものだ(的外れで愚かな行為)。むしろ,法律学を起して国民精神を明確にして,徐々に民族の権利思想の統一を待つほかない。
要するに,ティボーは自然法学説を信じ,法は永久不変で万国共通なものなので,法典はいつ作ってもいいと考えたが,一方のザヴィニーは,法は国民的・発達的なものであると考えた。この法典争議は,政治上の議論であったが,その根拠は学説によるもので,ザヴィニーの説からドイツの歴史法学派が起きた。
ティボーの法典編纂論は,ザヴィニーの反対論のため,当時は実現しなかった。以後,ドイツの民族統一運動がおき,半世紀後にドイツ帝国が誕生した。また,その間,法律学も著しく進歩を遂げ,民法を始め各種の普通法典の編纂も行われ,「一民、一国、一法」(‘Ein Volk, ein Reich, ein Recht.’)が実現した。ザヴィニーとティボーの法典争議は,学説上の論拠,論争の行方及びその結末が法典の編纂に帰着したところなど,ことごとく,日本の法典延期戦に酷似している。日本では,延期戦の後,両派が協力して法典編纂に努めたように,ザヴィニーとティボーの両大家も半世紀後に,あの世で握手したことであろう。
99 民法編纂
明治23年公布の法例,民法および商法は,前に話した通り,激烈なる論争の末,学問上も現実問題としても,欠点が多く,日本の実情に適さないとの理由で,その実施を延期され,改正することとなり、明治25年11月法律第8号により,明治29年12月31日まで施行が延期された。翌年3月,内閣に法典調査会を置かれることになった。伊藤総理大臣は総裁となる予定だったので,まず,始めに,副総裁の西園寺公望および委員の箕作麟祥をはじめ,数名の法律家を永田町の官邸に招いて大体の方針を諮問した。その時,穂積が伊藤に命じられ,上申した法典調査に関する方針意見書は,以下のとおりであった。
(1)民法の改正は,根本的に改正こと
(2)法典の体裁はパンデクテン式を採用し,ドイツ民法の編別に拠るべきこと
(3)編纂の方法は分担起草・合議定案とすること
(4)委員は主査委員中に起草委員・整理委員を置き,起草委員は一人一編を担当し,総則編および法例は兼担すること
(5)各起草委員に補助委員を付けること
(6)委員には各学派はもちろん,弁護士や実業家などを加えること
(7)議案は事務に関する議案・大体方針に関する議案および法規正文の議案の3つに分けること
分担起草案を提案したのは,民法施行の延期は3年という短時間であり,その間に,民法の全部を根本的に改正する必要があり,分担して起草せざるを得なかったので,ドイツ民法のように,一編ごとに一人の起草委員を置いて,総会で定めた方針と各起草委員が協定した方法に従って,原案を作成し,特に頭脳明晰で,しかも注意力のある委員を整理委員にして,各起草委員が立案した原案を調整する作業に当たらせるものとした。富井は,はじめから,民法の起草および議論を3年間で終わるのは不可能だとし,共担起草の方法で,3人の起草委員で協議・立案させ,法典の主義・体裁・文章用語を一貫させるべきだとして,法典の編纂を急ぐべきではない,もし必要ならば,民法の再延期をすればいいという意見を述べ,分担起草案に対する修正案を提出した。しかし,伊藤総裁は,穂積の意見を採用し,富井,梅および穂積の3人に起草委員を命じ,仁井田益太郎・仁保亀松・松波仁一郎を民法起草の補助委員に,山田三良を法例起草の補助委員に任命した。
民法草案は,明治26年5月12日から28年末まで,会議を重ねること158回で,総則・物権および債権の三編を終了し,29年1月に第9回帝国議会に提出された。議会では1か条の追加とわずかな修正を経て可決し,同年4月法律第89号として上記三編が公布された。しかし,法典延期の期限は明治29年末までなので,同年の帝国議会でさらに1年6か月の再延期法案を議決し,12月29日に法律第94号として公布された。
民法の残りの親族編・相続編は,明治28年9月14日から69回の会議を重ねて終了し,30年12月第11回の帝国議会に提出された。つまり,民法全部は前後を通じて217回の会議で終了したことになる。
これに先立ち,法典調査会では,商法の編纂に着手し,起草委員として当時ヨーロッパ滞在中の岡野敬次郎を召還し,梅・田部芳と共に起草に当たらせた。その原案は,132回の会議を経て終了したので,民法親族編・相続編と同時に議会に提出された。しかし,衆議院の解散のために両案とも廃案となり,翌31年再び第12帝国議会に提出されたが,商法は再び衆議院解散のために貴族院の議決を経たのみなったが,法例・民法第四編第五編および附属法は両院を通過し,民法残部二編は明治31年6月21日に法律第9号として公布された。
100 法諺
諺は,長い経験から生じた短い言葉で,言わば「民智の粋」(A proverb is condensed popular wisdom)である。したがって,ちょっとした短い言葉にも真理を含んでいるものが少なくない。「諺は神の声なり」(Proverbs are the language of the gods)という諺があるが,むしろ「民の声」(vox populi)と言った方が適切である。民族性によって,諺の種類や性質などもそれぞれ異なっている。その一例を挙げると,法律に関する諺は,西洋には数多くあるが,日本では少ないようである。西洋諸国では,法は人民の中で,自治的に発達したもので,いわゆる「民族法」をなしたものなので,法律に関する諺も自然に民間で多く言われるようになってきたのである。一方,東洋においては,法は神または君主の作ったもので,人民は口出しするようなものではなかったので,法に関する諺が自然と,人民の間で広まることがなかったのだろう。
西洋には,法律に関する諺の中に,主として専門家の間で言われてきた「法諺」(Rechtssprichwrter)または「法律格言」(legal maxims)と称するものと,法律に関する純粋に民衆から出てきた諺との2種類がある。いずれもその数は,非常に多い。1857年にミュンヘン大学が懸賞で,13世紀および14世紀の法諺を募集し,その後,バイエルン王マキシミリアン2世の保護により,ブルンチュリおよびコンラード・マウレルの両大家の監督下で,その当選者グラーフ(Eduard Graf),ディートヘール(Mathias Dietherr)の原稿を合せて一巻として,王国学士院より出版した「ドイツ法諺」(Deutsche Rechtssprichwrter)という本がある。これに載っている法諺の数だけでも,3698にも上っている。もっとも,これらはすべて,法学または法術上の格言で,法律の原則を諺の体で表現したもので,純粋な諺ではなかった。以下,いくつかの例を挙げる。
Ignorantia juris non excusat.→法の不知はこれを許さず
Abus n’est pas coutume.→悪弊は慣習に非ず(悪法は法にあらず?)
Gesetz muss Gesetz brechen.→法律を破るは法律を要す
The king never dies.→国王は死せず
2つ目の法律に関する純粋な諺も非常に数が多い。これは,法学または法術上の原則を言い表わしたものではなく,誰が言い出したかわからず,自然と民衆の間に広まっていったものである。以下,例を挙げる。
For the upright there are no laws.(ドイツ)→正直者に法なし
Strict law is often great injustice.(Summum jus, summa injuria.)(キケロの語)→最厳正の法は最不正の法なり
Like king, like law; like law, like people.(ポルトガル)→君が君なら法も法,法が法なら民も民
Laws are not made for the good.(ソクラテスの語)→法は善人のために作られたるものに非ず
Laws were made for the rogue.(イタリア)→法は悪人のために作られたるものなり
Nothing is law that is not reason.(判事パウェル〔Powell〕の語)→理に非ざるものは法に非ず
Better no law than law not enforced.(デンマルク)→行われざる法あるは法なきに如かず
He who makes a law should keep it.(イスパニア)→法を作る者は法を守らざるべからず
New laws, new roguery.(ドイツ)→新法定って新罪生ず
The more laws, the more offenders.(ドイツ)→法多ければ賊多し
When law ends, tyranny begins.(イギリス)→法の終るところ、虐政の始まるところ
The law has a nose of wax; one can twist it as the will.(ドイツ)→法は臘細工の鼻を持つ,故に勝手に曲げることが出来る
The law helps those who help themselves.(ドイツ)→法は自ら助くる者を助く
Law cannot persuade where it cannot punish.(イギリス)→罰することの出来ぬ法は勧めることも出来ぬ
Justice is never angry.(ベン・ジョンソン)→正義は怒ることなし
A person ought not to be a judge in his own cause.(イギリス)→自己の訴訟に裁判官たること勿れ
No one is a good judge in his own cause.→自己の訴訟に善い裁判官となれる者はない
Don’t hear one and judge two.→一方を聴いて双方を裁判するな
Judges should have two ears both alike.(ドイツ)→裁判官は左右同じ耳を持たねばならぬ
Well to judge depends on well to hear.(イタリア)→善い裁判は善い審問による
You cannot judge of the wine by the barrel.(イギリス)→樽で酒を判断してはならぬ
Justice oft leans to the side where the purse hangs.(デンマルク)→正義の秤は財布の乗った方へ傾きやすい
Law’s delay.(シェイクスピア)→法の遅滞
No man may be both accuser and judge.(プルータルク)→何人も訴人と判官とを兼ぬる能わず
Possession is nine points of the law.(イギリス)→占有には九分の勝味あり
Possession is as good as a title.(イギリス)→占有は権証に等し
By lawsuit no one has become rich.(ドイツ)→訴訟に依って富める者なし
Fond of lawsuits, little wealth; fond of doctors little health.(イギリス)→訴を好む者は財産少なく,医を好む者は健康少なし
Lawsuits make the parties lean, the lawyers fat.(ドイツ)→訴訟は原被告を痩せさせ,弁護士を太らせる
Better ten guilty escape than one innocent suffer.(イギリス)→一人の冤罪者あらんよりは十人の逃罪者あらしめよ
Little thieves have iron chains, great thieves gold ones.(オランダ)→小盗は鉄鎖、大盗は金鎖
Petty crimes are punished, great, rewarded.(ベン・ジョンソン)→小罪は罰せられ、大罪は賞せらる
Successful crime is called virtue.(セネカ)→成功せる犯罪は徳義と称せらる
Opportunity makes the thief.(イギリス)→機会は盗を作る
The hole invites the thief.(イギリス)→穴は賊を招く
Set a thief to catch a thief.(イギリス)→賊を捕うるに賊をもってす
Show me a liar and I will show you a thief.(イギリス)→嘘つきを出せ,泥棒を見せてやろう
All are not thieves whom the dogs bark at.(ドイツ)→犬に吠えられる者は必らず泥棒と極ってはおらぬ
A thief thinks every man steals.(デンマルク)→泥棒は誰れでも盗みをするものじゃと思うている
He that steals can hide.(イギリス)→盗む者は隠すことが出来る
You are a fool to steal, if you can’t conceal.(イギリス)→隠すことを知らずして盗む者は愚人なり
No receiver, no thief.(イギリス)→受贓者なければ盗賊なし
Lawyers are men who hire out their words and anger.(マーシャル)→弁護士とは言語と憤怒とを賃貸する人をいう
A good lawyer is a bad neighbour.(イギリス)→善き法律家は悪しき隣人なり
The more lawyers, the more processes.(イギリス)→弁護士多ければ訴訟多し
Fools and obstinate men make lawyers rich.(イギリス)→馬鹿と剛情者が弁護士を富ます
Lawyers’ houses are built of fools’ heads.(イギリス)→弁護士の家は馬鹿の頭で建てられる
He who is his own lawyer has a fool for his client.(イギリス)→自分で弁護する訴訟の本人は馬鹿者である
弁護士に関する諺は,他にもたくさんあるが,概ね,素人が作った諺で,日本の川柳に医者の悪口が多いのと同様である。最後に掲げた諺は,例外で次のような逸話が残っている。
クリーヴ(Cleave)という有名な弁護士がある時,被告となり,自分で弁護をした。そして,最後の弁論を以下のように述べた。
裁判長,私は,今,自分の訴訟を自分で弁護するに当たり,あの有名な“He who acts as his own counsel has a fool for his client.”という諺を体現することを恐れている…
裁判長ロールド・リンダルスト(Lord Lyndhurst)は,クリーヴを遮り,「クリーヴ君,御心配には及びません。あの諺は,あなた方弁護士諸君が作られたのであります。」と言った。
♪Mr.Children「I’m sorry」(アルバム:B-SIDE収録)